-
2025年のお月見は?
2025年10月6日 /
2025年のお月見は?
2025年のお月見は?というと、実はは本日、10月6日なのです。
おはようございます!こんにちは!こんばんは!フラワーショップKALIANg(カリアン)です。本日はお月見ということで、お月見の話題を。
このお月見の人は、旧暦の8月15日の満月を指し、十五夜、または、九月の13日を指して、十三夜。さらに、一日遅い、十六夜(いざよい)などとして古くから楽しまれてきました。
その日が、新暦に直すと、本日10月6日なのです。
お月見の風習
月見の風習は遣唐使が伝えたと言われ平安時代の貴族に徐々に広がりました。
庶民にはまだまだ遠い存在でした。
しかし、 もともと 月を見るという風習は農業と密接になっており、農村では稲作の目安としたりしていました。 その頃は特に宗教的な要素や 願掛け などは見られず、 ただ 月を楽しむということでした。月には「月読命(ツクヨミノミコ)」という神様がいて、太陽神である「天照大御神」の弟神であるといわれていました。
月見の風習の変化
室町時代も、名月の日は宴を催していました。しかしながら、とても簡素なものになっておりました。
とはいっても、お供えは、枝豆、柿、栗、瓜、茄子、芋、粥など秋の収穫を供えるということで催されていました。
さらに「、江戸時代に入り 庶民にもお月見の文化が広がっていくと同時に、 君月見という行事も広がっていきました
お月見のお団子
江戸時代の前期は芋煮を食べて夜遊びするということでした。が、 中期以降は十五夜の日は机で祭壇をこしらえて、 供え物にはお団お団子が広がってきました。
特に江戸ではまん丸のお団子です。
江戸時代の風流
さらに、月見というのは 吉原とも 密接でありました。 花魁がお客を呼ぶのに月見の宴をするので、お店へ 来てほしいと手紙に書いたりして誘っていました。
江戸では月見の名所というのもありました。江戸名所図会や江戸八景など書物などで紹介されています。 例えば 、隅田川 や小名木川、不忍池、高輪大木戸の広く空を見渡せるところ。または、 湯島天神や 九段坂上、 日暮里、 愛宕山など高台や坂がある場所では、月の景色が描かれた、版画が出回ったりしました。
ススキを飾る風習は、江戸時代に入ってから
意外なことに、実は、ススキを飾るという風習は江戸時代には 武蔵野 一帯や 江戸 東北などで見受ける 風習でした。
他の地域では特にススキを飾ったりはしませんでした。
明治以降に全国に広まったと思われます。ススキに神様が宿ったり、稲の代わりにしたりなどというのは、ごく最近のことなのです。
但し、ススキ自体は、秋の七草として奈良時代から愛でられており、それと月見がつながった、というのが、江戸時代以降になります。
お月見の色々
8月15日は十五夜といい、中秋の名月として月を眺めていました。15日から16日を、十五夜 として、16日から17日を待宵まちよい、 十六夜いざよいといって、月が十五夜よりちょっと遅れて出てくることも、いとおかしなどといって愛でる風習がありました。
その他にも、 9月13日の13夜 。10月10日の十日夜や、 または7月の26日と1月の26日の二十六夜の月というのもありました。この二十六夜の月は上の方がかけた細い、上弦の月を 特に二十六夜として月を愛でていました。2025年のお月見は?まとめ
いかがでしょうか。
お月見にちなんだお話をまとめていました。今のところ、お天気はやや悪そうです。
しかし、天候次第で月を望めない場合もあります。
そのことを、「月待ち」といい、十七夜以降を立待月(たちまちづき)、居待月(いまちづき)、寝待月(ねまちづき)、更待月(ふけまちづき)などと言ったそうです。古来の日本人は、よっぽど月を愛でることを止まなかったのでしょう。
ひょっとしたら、お月見と称して吉原のおねえちゃんたちに会いに行くのを待っていたのかもしれません。
それでは、良いお月見をお過ごしください。
に投稿されましたH2-ConnecT乃木坂Trustindex は、レビューの元のソースが Google であることを確認します。 ミッドタウンの真正面にある花屋さん。 とても良いお花ばかり揃ってます。 プロポーズに、バラ100本🌹とかの注文が多いそうです!素晴らしい✨ それに相応しい凄く綺麗で見事なバラが揃います。 私は広尾のローズギャラリーが1番と思ってきましたがここの花屋さんも素晴らしい✨ 自分で買うのは嫌だわ…誰かにプレゼントしてもらうのが良いですね✨。。。やっぱり自分で買いましょか🥲 私はお榊をあちこち見て歩いて購入してたんですが こちらに落ち着きそうです。 国産と輸入もの2種類。。。運ですね…! 素敵な花屋さんです!オススメ✨🌹✨ 写真は仕入れしたばかりのときのもので お花が見えなくてごめんなさい。に投稿されましたみょうTrustindex は、レビューの元のソースが Google であることを確認します。 平日午前に利用しました( ◠‿◠ ) パープルをベースに長めのブーケをお願いしました。 男性スタッフさんにお願いしましたが、こちらの優柔不断な発言に嫌な顔せず、お花選びから完成まで丁寧に接客してくださったので、大満足の仕上がりになりました❤︎ 手提げ袋込みで4600円でした❤︎に投稿されましたNatura DearTrustindex は、レビューの元のソースが Google であることを確認します。 どうしても都合がつかなくなってしまい、営業時間外になってしまいましたが、対応していただけて感謝です。そしてとてもセンスの良い花束を用意していただけました。 本当にありがとうございました!に投稿されましたM MTrustindex は、レビューの元のソースが Google であることを確認します。 Great service and English is ok!に投稿されましたAyumi FUJIMURATrustindex は、レビューの元のソースが Google であることを確認します。 ライブでお渡しするので、華やかな感じの花束をオーダーしました。 とても素敵で、ラッピングもセンスがよかったです。ボリュームもあって、ライブに華を添えてくれました。に投稿されました轟木良昌Trustindex は、レビューの元のソースが Google であることを確認します。 センスの良い花束に仕上げてくれました!に投稿されました塩野恵麻Trustindex は、レビューの元のソースが Google であることを確認します。 めちゃくちゃ素敵な花束💐にしてダサいましたに投稿されましたRISA SAITOTrustindex は、レビューの元のソースが Google であることを確認します。 どんなお花にしようか迷っていたところ、優しく声をかけてくださり色々と組み合わせて提案してくれました。 小さなお店ですが色々なお花がそろっていますし、2〜3本で素敵な花束を作ってくださって大満足です!料金も手頃でコスパも◎ 遅くまで空いてるので助かります!!に投稿されましたAkari KawabataTrustindex は、レビューの元のソースが Google であることを確認します。 Came here to buy a bouquet for a friend. Reasonable price, polite workers, and beautiful flowers. Definitely recommend〔サイトマップ〕
吾輩は猫である。名前はまだない。どこで生れたか頓と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。
-
秋の七草
2025年9月9日 /秋の七草 は万葉の頃から
秋の七草は、日本最古の和歌集「万葉集」に記載されている山上憶良の詠んだ歌にあるといわれています。
例えば、春の七草は、おもに健康に配慮した滋養を高める効果があるといわれ、食するものでした。
ところが、秋の七草は、なんで七草に選ばれたのかよくわかりません。
すなわち、その万葉の時代に都の近くに生えていた花をうたったものなのでしょうか。
山上憶良の読んだ万葉集の秋の二首
「秋の野に 咲きたる花を 指折り(およびをり) かき数(かぞ)ふれば 七種(ななくさ)の花」(巻8-1537)
「萩の花 尾花 葛花 なでしこの花 をみなへし また藤袴 朝貌(あさがほ)の花」(巻8-1538)
上は、実存する写本の一部です。
この山上憶良(やまのうえのおくら 660?~733?)という人は、奈良時代の優秀なお役人でした。
そして、第八次遣唐使に任ぜられます。
唐にわたり、儒教や仏教など最新の学問を学びました。
ところが、あまりの儒教や仏教の思想に傾倒していました。そして、死や貧困、老いや病などまた、身分差や防人、社会的問題などの矛盾を鋭く観察するようになります。さらに、社会派歌人として活躍していました。そのため、代表的な歌に『貧窮問答歌』、『子を思ふ歌』などがあります。これらは、当時としては、大伴家持や柿本人麻呂、山部赤人らと共に奈良時代を代表する歌人として高く評価されていました。秋の七草、実は薬!?
秋の七草は実は薬だった!?という説があります。
先ほどの山上憶良の歌に登場する秋の七草。
つまり、萩、ススキ(=尾花)、葛、ナデシコ、オミナエシ、フジバカマ、キキョウ(=朝貌)が秋の七草です。下に一覧の表を作ったのですが、ご覧ください。ちょっと見づらいかもしれません。詳細は>>>こちら
ヤマハギ(山萩)
マメ科ハギ属 落葉広葉樹単にハギといえばヤマハギを指す。
開花期は6~9月。山間の明るいところに自生。株が大きくなるため、土留めなどに植えられることも多い。
万葉集には秋の花として多く詠まれ、人気の花材。茶花として扱われることも良くあるが、切花としては流通することが少ない。
ススキ(芒・薄)
イネ科ススキ属 多年草
別名・尾花。尾花の由来は、ススキの穂が動物の尾に似ていることに由来する。実は、花穂は荻(オギ)に似ている。しかしながら、ススキは株立ちになっており、区別がつく。日本全国に分布し、明るい山野に自生する。かつては、茅と呼ばれ、かやぶき屋根の材料になった。一時、アメリカやイギリスのガーデンでは、東洋的な草花として人気だったが、繁殖力が旺盛で侵略的外来種として認定されている。
クズ(葛)
マメ科クズ属 多年草
葛は、葛根湯などの生薬や葛湯・葛切りなど和菓子に利用されることが多い。開花期は7~9月頃となる。つる性の多年草ではあるが、時に大きくなりすぎることがある。そのため、アメリカでは侵略的外来種とされている。根は長い芋状となる。この根の部分を利用する。山野にありふれているため、切花としての流通はほぼない。
カワラナデシコ(河原撫子)
ナデシコ科ナデシコ属 多年草
単にナデシコと呼ぶ場合はこの品種を指す。別名・大和撫子。本州・四国・九州・沖縄諸島・朝鮮半島・中国・台湾に自生する。古くから栽培もされて古典園芸植物として、特に江戸時代にはたくさん品種改良された。伊勢ナデシコなどは、このカワラナデシコの江戸時代の育種とかんがえられている。
オミナエシ(女郎花)
オミナエシ科オミナエシ属 多年草
北海道から九州のほぼ全域に自生する。開花期は8~10月。秋の七草の中でも茶花や生け花の材料として使われることが多く流通量も多い。オミナエシの語源はよくわかっていない。別名オミナメシともいい、古い農家では単にメシと呼ぶことがある。ちなみに白花の品種をオトコエシ(男郎花)とよぶ。
フジバカマ(藤袴)
キク科ユーパトリウム属 多年草
中国と朝鮮半島が原産といわれている。日本へは古い時代に帰化された植物と考えられており、万葉集にはすでに日本人に親しまれていた。花色が藤色をおび花弁の形が袴に似ていることから藤袴と呼ばれる。漢名では香水蘭とも呼ばれ、かつては蘭といえば藤袴であった。班が沸きするとほのかに芳香を放ち、かんざしや香り袋として身に着けていた。また入浴や頭髪剤としても利用していた。
キキョウ(桔梗)
キキョウ科キキョウ属 多年草
日本の他に朝鮮半島、中国、東シベリアに自生する。万葉の頃はこの花をアサガオ(朝貌・朝顔)と呼んでいた。万葉の頃ころから親しまれており、歌の題材となった。園芸種としては、江戸時代にはすでに紫・白の他に、絞り咲きや八重咲など様々なものがあることが『花譜』『花壇地錦抄』などの書物で確認されている。江戸時代末期には緑八重や濃い黄色、ウサギの耳のように咲く兎耳桔梗、平らに咲く平皿の紋桔梗など現代途絶えてしまった品種があった。
吾輩は猫である。名前はまだない。どこで生れたか頓と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。
これも好きかも
菊の節句2025
2025年9月8日

